「電線音頭をやった人が不思議でしたね」──伊東四朗が『おしん』の父になるまで
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2026年10月1日、伊東四朗は、90歳の誕生日にあたる2027年6月15日をもって芸能界を引退すると発表した。文化放送の『伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛』も、2027年6月12日の放送で終わる。伊東四朗の軌跡全3回の第2回です。
2026年10月3日、土曜日。東京の文化放送で、伊東四朗は自分のラジオ番組の生放送を終え、報道陣の取材に応じた。
70年近い芸能生活で印象に残っている作品を聞かれると、伊東は、キャンディーズと出た『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』を挙げた。続けて、1983年の連続テレビ小説『おしん』に出たことについて、こう話して笑いを誘った。
「電線音頭をやった人が不思議でしたね」
こたつの上で踊っていた男が、6年半後には朝の連続テレビ小説で、主人公の父親を演じていた。本人にとっても、それは不思議なことだったらしい。
子どものころ、こたつの上でベンジャミン伊東の真似をした人がいる。その人が数年後、朝のテレビで、幼い娘が奉公に出される家の父親を演じる同じ顔を見ることになった。1990年代の終わりに小学生だった世代にとっては、『伊東家の食卓』のお父さんだ。同じ顔を、世代ごとに違う役で覚えている。
この回は、その“不思議”の中身を確かめる。
「それがどうかしましたか」
電線音頭で世間が騒いでいたころ、伊東のもとに真面目なドラマの出演依頼が届いた。
第一次世界大戦中、徳島にあった俘虜収容所の交番に勤めた警察官の日記をもとにしたドラマだった。依頼されたのは、その警察官という重要な役だ。
伊東は、相手が自分をベンジャミン伊東だと知らないのだと思った。それで、自分はいま電線音頭で世間を騒がせているが、それでも演じていいのか、と念を押した。相手は平然とした顔で答えたという。
「それがどうかしましたか。話を続けます」
それがうれしかった、と伊東は2018年の取材で振り返っている。そして、こうも話している。
「今思い返しても、何回もこういうことがあった」
喜劇には、大真面目な巡査がいる
伊東は、自分にはできないと思った役はない、と話している。それは喜劇の出身だからかもしれない、と。
喜劇は、登場人物が全員ふざけていては成り立たない。主役の笑いを引き立てるには、大真面目な巡査や大家の役が要る。だから喜劇をやっていると、おちゃらけた役から生真面目な役まで、何でもやることになる。伊東はそう説明している。
文藝春秋から出た笹山敬輔の評伝『笑いの正解 東京喜劇と伊東四朗』にも、同じ考えを語る本人の言葉が引かれている。喜劇には二枚目から老け役、女形、動物の役まで出てくるので、どんな役が来ても驚かなくなる。そのうえで、伊東はこう言う。
「喜劇ができればどんな役でもできると思っているんです」
電線音頭のベンジャミン伊東と、俘虜収容所の警察官は、伊東のなかでは地続きだったことになる。どちらも、喜劇の舞台に必要な役だった。
『おしん』の作造
1983年4月、NHKの連続テレビ小説『おしん』が始まり、1年間にわたって放送された。伊東が演じたのは、主人公おしんの父親だ。役名は作造という。
おしんは貧しい農家に生まれ、数えで7歳のときに、口減らしのため奉公に出される。作造は、その幼い娘が奉公に出されていく家の父親だった。
伊東は、この起用の裏側をこう推測している。きっと会議では、こんな意見があっただろう。
「おしんの父親にベンジャミンはないだろ」
それでも押し通してくれる人がいた。そういう人たちに支えられてここまでやってこられた、と伊東は話している。会議で本当にそういう声が出たのかは本人の想像で、筆者は確かめられていない。
『おしん』のあと、伊東は俳優としての活躍の場を広げていく。
喪黒福造と白河法皇
1999年、テレビ朝日で放送されたドラマ『笑ゥせぇるすまん』で、伊東は喪黒福造を演じた。黒いスーツで全身を包み、悩める現代人の“ココロのスキマ”を埋めていく、あの謎のセールスマンだ。
2012年には、NHKの大河ドラマ『平清盛』で白河法皇を演じている。時の最高権力者で、この作品では主人公・清盛の実の父という設定だった。
喪黒も白河法皇も、愛想のいい顔の奥に、底の知れないものを抱えた人物だと筆者は思う。電線音頭の男の顔は、凄みの側にも使われた。
亀さんと、お父さん
同じ顔は、優しさの側にも置かれた。
TBSの十津川警部シリーズでは、1992年から2015年まで十津川を演じた渡瀬恒彦の相棒、亀井刑事を務めた。渡瀬が十津川を演じた作品は、全54作にのぼる。
1997年からは、日本テレビの『伊東家の食卓』でお父さん役を務めた。視聴者から寄せられた生活の裏ワザを紹介する番組で、約10年続いた。撮影は隔週で、その2週間のあいだに1000通を超える裏ワザの投稿が届いたという。
伊東はこの番組で、当時10代後半だった三宅健とよく話していた。若い人の話を聞くと、今がわかるからだ。
番組のゲームでも、三宅だけには負けまいと思ってやっていた。年寄りでも結構やるじゃん、と見ている人に思ってもらえたらいい、と考えていたという。番組で覚えた裏ワザで印象に残っているのはTシャツの畳み方だが、取材の朝にやろうとしたら忘れていた、とも笑っている。
『脳内エステIQサプリ』などのバラエティー番組でも活躍した。
不思議の正体
2025年10月、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』が、CSのホームドラマチャンネルで約50年ぶりにテレビ放送されることになった。
そのとき伊東が寄せたコメントは、ベンジャミン伊東ほどの阿呆キャラはテレビ史にもないと思う、と書いたあと、そんな自分がのちに『おしん』の父親をやっている、と続く。そして、こう結ばれていた。
「TVって不思議ーッ」
1年後の10月3日にも、伊東は同じことを不思議がっていた。
ここから先は筆者の仮説だ。伊東自身の演技観を並べてみると、別の見え方もできる。喜劇には大真面目な巡査が要る。喜劇ができれば、どんな役もできる。
こたつの上で踊る男と、『おしん』の父親は、同じ喜劇の舞台に並ぶ二つの役だった。不思議がっているのは本人で、見ていた側にとっては、同じ顔だから成り立った役だったのかもしれない。
てんぷくトリオの3人のうち、最後まで舞台に立ち続けたのは伊東だった。戸塚睦夫と三波伸介を見送り、小松政夫も見送った人が、89歳の誕生日に、自分の幕引きの日を決める。次回は、その話を書く。
◀ 前の回 第1回 「すべてに落っこちて」──面接全敗の青年が、ベンジャミン伊東になるまで 次の回 ▶ 第3回 「黙ってやめるのもひきょうなので」──伊東四朗が自分で決めた幕引き
連載「観させていただき、聴かせていただきます」全3回
- 第1回 「すべてに落っこちて」──面接全敗の青年が、ベンジャミン伊東になるまで
- 第2回 「電線音頭をやった人が不思議でしたね」──伊東四朗が『おしん』の父になるまで(この記事)
- 第3回 「黙ってやめるのもひきょうなので」──伊東四朗が自分で決めた幕引き
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