“見出し”で読んだ人は、たぶん半分も楽しめていない
9月下旬の1週間、ラジオ好きは妙に忙しかった。
月曜深夜のTBSラジオで始まった話が、木曜の昼にニッポン放送へ、その夜にはJFNへ飛ぶ。金曜は大阪のABCラジオ、日曜はふたたびJFN。そして翌週の月曜深夜、話はTBSラジオに戻ってくる。伊集院光とダウ90000・蓮見翔による、『クレヨンしんちゃん』の脚本をめぐるやりとりだ。
ネットニュースはこれを「酷評」「反論」「謝罪」の3語でまとめた。まとめとしては間違っていない。ただ、あの3語からこぼれ落ちたものが多すぎる。
ここでは、そのこぼれ落ちたものを拾い直してみたい。先に結論を言っておく。これは「58歳のレジェンドと29歳の若手の世代間対立」ではなかった。パーソナリティと、かつてのリスナーの話だった。
まず、何が起きたのか
| 日付 | 番組 | 出来事 |
|---|---|---|
| 9/19(土) | テレビ朝日系『クレヨンしんちゃん』 | 蓮見脚本回「ある午後の野原夫婦だゾ」放送 |
| 9/21(月)深夜 | TBSラジオ『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』 | 伊集院「腰が抜けるほどつまんない」 |
| 9/24(木)昼 | ニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』 | ゲストの蓮見「ケツ出しときゃよかった」 |
| 9/24(木)夜 | JFN『REQ JAM』(蓮見担当の木曜) | 蓮見が自分の番組で本格的に反論 |
| 9/25(金) | ABCラジオ『東野幸治のホンモノラジオ』 | 東野幸治が言及 |
| 9/27(日) | JFN『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』 | 有吉弘行が言及 |
| 9/28(月)深夜 | TBSラジオ『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』 | 伊集院「蓮見君に大変ご迷惑をおかけしました」 |
問題の回は実験的な作りだった。しんのすけは外で遊んでいて、ひまわりは昼寝中。ひろしとみさえが家でとりとめのない話をする約8分間を、ワンカットで見せきる。30年を超えるシリーズでも異色の一本で、作品そのものにも賛否が出た。
ただ、この記事で扱うのは作品の出来ではなく、その後の1週間にラジオの中で起きたことだ。
“いつもの前振り”は、文字になると笑えない
9月21日の馬鹿力で、伊集院は「見たんだけど、腰が抜けるほどつまんない」と切り出した。見出しになったのはこの一文だ。ただ放送では、その前後にいくつもの言葉がついていた。
「勇気いるんだよ、あっちが正しいことになってるから。世の中はダウ90000のセンスを理解できない58歳のやつを許してくれないから。こっちが老害って」
さらに「誰か味方になってくれ」と呼びかけ、「『伊集院よく言った。俺も恐ろしくて言い出せなかったんだけど』っていう人がいてほしいんだよ」とまで言っている。
馬鹿力のリスナーには、おなじみの構えだ。まず自分を、負けている側や嫌われる側に置く。そこから毒を吐く。深夜1時の”持たざる者”として30年以上かけて磨いてきた語りの型で、リスナーはその型も込みで笑ってきた。
この前振りは、見出しにも一部残った。けれど文字になった瞬間、笑いの部分だけが抜け落ちる。声のトーンも、深夜1時という時間も、面白がって聴いているリスナーの存在も消えて、「58歳が世代の壁を嘆きながら若手を酷評した」という骨組みだけが残る。
しかも、伊集院が自虐のつもりで置いた「老害」の一語が、この話を世代間対立の物語に変えてしまった。蓮見ものちに「『老害』っていう言葉を使ってなかったらここまでね、一般の人々は興味を持っていない」と指摘している。
特定の聞き手に向けた言葉が、文脈を知らない不特定多数に届いて、意味が変わってしまう。メディア論で「コンテクスト崩壊」と呼ばれる現象だ。深夜ラジオは、この現象にとりわけ弱い。毒舌の多くが「わかってる人しか聴いていない」という前提の上に成り立っているからだ。
「まだやってるんだ」は、リスナーにしか言えない
3日後の24日、蓮見はまずニッポン放送の『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演した。塙宣之に話を振られると、「ケツ出しときゃよかったなっていう感じです。奇をてらいました」と笑いで返し、本題については「そっちでしゃべりたいんで」と、その夜の自分の生放送に預けている。
そして宣言どおり、自身が木曜を担当するJFN『REQ JAM』で本格的に応じた。よその番組では笑いで流し、返事は自分の番組で書く。この段取りからして、もうラジオの人だ。
まず、作品の評価はあっさり受け入れている。「つまんなかったのは俺が悪いことだから、これはごめんなさい」。そのうえで「ベースは言っておきますけど俺は面白いと思って作りましたから」とも添えた。
蓮見が反論したのは、評価そのものではなく伊集院の話し方だった。
「えっ、その下から潜り込むファイトスタイル、この人はまだやってるんだ」
続けて「こんな後輩に……『マジで?』と思って」。このくだりは見出しでも大きく扱われた。ただ、ラジオ好きとして注目したいのは、「下から潜り込むファイトスタイル」という言い回しの切れ味より、「まだ」の一語のほうだ。
「まだやってるんだ」は、昔からその型を知っている人の言葉だ。初めて見た人は「まだ」とは言わない。実際、蓮見は同じ放送でこう明かしている。
「俺、伊集院さんのラジオ、聞いてたから。俺、JUNK全部、聞いてたし。大学生の時とか、バイトしてる時とかずっと聞いてた人だから」
つまりこれは、見知らぬ若手が大御所に噛みついた話ではない。かつてのリスナーが、自分が聴いて育った語りの型を見抜いて、「その型、知ってますよ」と言い返した話だった。
しかも蓮見は、型そのものを否定してはいない。問題にしたのは、その型を誰が誰に向けて使ったか、だ。深夜の”持たざる者”が使えば笑いになる自虐も、「あの年代のあのレジェンド」が後輩に向ければ、受け取られ方が変わる。蓮見の指摘は、そういう趣旨だった。
2人とも、自分が”弱い側”だと思っていた
21日の放送で、伊集院は作品の作り方についても「こういうのは理解できない人が悪いんですよと圧をかけてくる」と話していた。蓮見の答えは、真っ向からの否定だった。「『理解できないのが悪い』みたいな圧なんて俺、絶対に自分でかけたことないし」。
「誰か味方になってくれ」にも、蓮見はこう返している。「それがファーストペンギンだと思っているなら大間違いで」「それより前のところで俺、もう大量のペンギンに踏み潰されて死んでるんですよ。とっくに」。
自分が最初に海へ飛び込む一羽のつもりでも、こっちはその前に、とっくにペンギンの大群に踏み潰されている──という意味だ。蓮見によれば、ダウ90000はこの回よりずっと前から、ネタ番組に出るたびに「かなり言われてきた側」だという。
伊集院は「世の中はダウ90000の味方だ」と感じていた。蓮見は「自分はとっくに叩かれ続けている」と感じていた。片方は下から挑んだつもりで、もう片方は下で踏まれ続けてきたつもりでいた。2人とも、自分の側が弱いと感じていたことになる。
もう一つの論点は「切り抜き」だった
蓮見の反論には、もう一つ論点がある。蓮見の紹介によれば、伊集院は作品評のほかに、蓮見本人についても触れていた。「おじさんを怒るキャラクターがつらいから、もうやめたい」と言っているのはダサい、という趣旨だ。
蓮見はこれを、令和ロマン・くるまとのやりとりを切り抜いたものによる誤解だと説明した。ただし「その切り抜きを見て伊集院さんは捉えたんだと思うんですよ」という言い方のとおり、伊集院が何を見て話したのかは蓮見の見立てで、伊集院の側からの説明は出ていない。
そのうえで蓮見は、「あの年代のあのレジェンドが、切り抜きをちょっと見た程度の情報量で『後輩ダサい』とか言って賛同を集めだしたら、もう終わりでしょう?」と続け、こう問いかけた。「それって伊集院さんが散々怒ってる、ラジオを聞かずにネットニュースの記事だけを見て騒いでる人と何も変わんないんじゃないの?」
「ラジオを聴かずに記事だけで騒ぐな」は、蓮見が「散々怒ってる」と言うとおり、伊集院が番組で繰り返してきたテーマだ。蓮見はその言葉を、伊集院本人に向けた形になる。
自分の側の手順についても、蓮見はこう明かしている。
「俺はちゃんと全部、文字起こししましたから。伊集院さんが言ったことを。自分で全部、文字起こしした上で今、しゃべってるから」
それでいて、蓮見に揉める気はなかった。同じ放送で「揉める気はないの。もう本当にさ、こういうの、やめて」とも言っている。
ラジオの中では、誰も勝敗をつけるわけもなく
この応酬には、ほかのパーソナリティも次々と触れた。そして、勝ち負けをつけた人は一人もいない。
ナイツ塙は聞き役に回り、蓮見から「ケツ出しときゃよかった」を引き出した。
東野幸治はABCラジオで「伊集院さんの気持ちもわかるし、蓮見くんの気持ちもわかるし……」と、きれいに真ん中に立った。共演の渡辺あつむに「味、薄っ!」と突っ込まれると、自分でも「薄いわ」と認めている。ただ、その薄味の中に一本だけ芯があった。「自分の意見が言える空間が一番、健全じゃないのかな」。伊集院には「気を使わずどんどん」しゃべってほしい、とも付け加えている。
有吉弘行は、さらに一枚上手だった。「まあどうでもいいんだけどさ」と前置きしたうえで、番組パートナーのデンジャラス安田に「お前なんてさ、マジで腰砕けるぐらいつまんねえもんな?」と例のフレーズを流用する。そこから「腰が砕けるほど白髪が出てきて」と転がし、「なんで俺の酷評はニュースにならないんだよ?」とぼやいた。最後は「『クレヨンしんちゃん』の脚本、書いてみろって。俺がちょっと酷評してやるから」。途中には、「安田90」といじられた安田が「58だよ!」と言い返す場面まである。伊集院が口にしたのと同じ「58」だ。
有吉が笑っているのは、伊集院でも蓮見でもない。ラジオでの悪口がニュースになったり、ならなかったりする、その境目そのものだ。
ラジオの中で、このケンカはネタとして回され、笑いで薄められていった。一方のネットでは、作品の評価と伊集院の話し方の評価が混ざったまま、「どっちが正しいか」で意見が二つに割れた。
「外野の養分」と「ぐうの音も出ない」
9月28日、馬鹿力のエンディング。残りわずかな時間で、伊集院は「蓮見君に大変ご迷惑をおかけしました」と短く謝り、こう続けた。
「これ、触れても触れなくても、茶化しても茶化さなくても、結局何か言ったところで外野の養分になるだけなのと、蓮見君自身が終わりにしたいと言ってくれたことで、これ以上細かく僕から触れることはないです」
この「外野の養分」には、一部のファンから「自分で始めといてその言い草はない」という声も出たと報じられている。もっともな指摘だと思う。火をつけたのは伊集院自身だ。
一方で、「茶化しても茶化さなくても」という言葉は見逃せない。茶化すのは、芸人がもめごとを笑いに変えるための一番の得意技だ。伊集院は、その得意技も今回は効かないと判断した。ラジオでの発言が外へ漏れ出す回路は、それだけ太くなっている。
そして、ラジオ好きにこの回で聴き逃してほしくないのは、次の一言だ。
「何より、大学の時から(ラジオを)聴いてくれていたという話をされると、僕はぐうの音も出ないので」
見出しには「謝罪」としか書かれなかった。でも、この回の芯はここにある。かつてのリスナーから語りの型を指摘されるのは、パーソナリティにとって何より重い。伊集院はそれを、言い訳せずに受け取ったように聞こえる。
忘れてはいけない、僕らも外野
この5番組を、全部リアルタイムで聴いた人はどれくらいいるだろう。馬鹿力は聴いたけれど、REQ JAMは記事で読んだ。東野と有吉の回は、Xに流れてきた切り抜きで知った。この記事の材料も、多くは各番組の書き起こしと報道だ。
ラジオのケンカは本来、続けて聴いた人だけが楽しめる長編だ。前の回の空気や、声のトーン、笑い声の間まで含めて一つの作品になる。ところが今回は局をまたいだせいで、全部を聴いた人がほとんどいない。リスナーも、自分が聴いた番組以外は見出しで埋めていた。その意味で、僕らも外野だ。
振り返ると、この1週間で、相手の放送を頭から聴き、自分の手で書き起こしてから口を開いた人が、少なくとも一人いる。蓮見翔だ。いちばん”ちゃんとしたリスナー”だったのは、ケンカの当事者だった。
最後の一通は、まだ届いていない
9月28日の放送で、伊集院は「蓮見君の番組呼んでくれれば行きますし、そっちに行くっていうならばこっちで呼びますし」とも話している。「でも、あまり何を言ったところで…という気はしています」と添えたうえでの申し出だ。
この申し出に蓮見がどう応えたかは、10月1日時点ではまだ報じられていない。ダウ90000は10月17日、初めてのキングオブコント決勝に臨む。
往復書簡は、まだ終わっていない。最後の一通が届くとしたら、たぶんラジオだ。パーソナリティと元リスナーが同じブースに座る日が来たら、そのときは見出しではなく、みんなでラジオを聴こう。今度は、ちゃんと全部。