テレビをつけたら、嵐がいた。――デビュー27周年の11月3日に数える、僕らの26年半
2026年5月31日、嵐はグループ活動を終えた。今日、11月3日は、活動終了後に迎える初めてのデビュー記念日だ。CDを買ったことがなくても、あの5人をテレビで見なかった年はほとんどない、という人は多いはずだ。嵐の終わりが妙に寂しいのは、自分の26年半を惜しんでいるからではないか。年表に自分の年齢を重ねながら、その寂しさの正体を数えてみたい。
CDを1枚も買っていないのに、胸がざわついた
CDを1枚も買ったことがない。ライブに行ったこともない。それなのに、あのニュースには妙に胸がざわついた――そんな人は少なくないはずだ。
たとえば、昼休みにスマホを見ていて、速報で指が止まる。職場の誰かが「嵐、終わるんだって」と、独り言のようにつぶやく。家に帰ると、つけっぱなしのテレビが同じニュースを流している。
2025年5月6日、嵐は、翌年春のコンサートツアーをもってグループとしての活動を終えると発表した。J-CASTニュースによると、発表のあと、Xでは「活動終了」や「ファンクラブ」といった言葉と並んで、「私の青春」がトレンドの上位に入った。
青春を預けた覚えはない、という人もいるだろう。それでも、あの5人がずっとテレビの中にいたことは知っている。ただ、ファンでもないのに、と自分で思ってしまうから、寂しいと口に出すのは少しためらわれる。
ここ十数年で、僕らの「好き」はずいぶん細かくなった。見る番組も、聴く曲も、応援する相手も、人によって違うのが当たり前になった。家族の食卓や職場の雑談で「全員が知っているもの」を探すと、思いのほか見つからない。
そんななかで、嵐はまだ、たいていの人に通じる数少ない名前のひとつだった。少なくとも、僕らにはそう見えていた。
この記事で確かめてみたいのは、ひとつの見立てだ。多くの人にとって、嵐は”推し”ではなく、人生の”目盛り”だったのではないか。定規の目盛りが、自分がどこまで来たかを教えてくれるように。
1999年11月3日、あなたは何歳でしたか
嵐の始まりには、日付が2つある。1999年9月15日に結成が発表され、同じ年の11月3日にシングル「A・RA・SHI」でCDデビューした。今日は、そのデビューから27周年にあたる。
1999年は、NTTドコモの「iモード」が始まった年でもある。携帯電話でネットにつながること自体が、まだ新しかったころだ。
ここで、少し計算をしてみたい。1999年11月3日の時点で、1985年度生まれの人は中学2年生。1990年度生まれなら小学3年生で、1995年度生まれは、まだ小学校に上がる前だった。
その後の嵐の出来事と並べると、こうなる。
| 年 | 嵐の出来事 | 1985年度生まれ | 1990年度生まれ | 1995年度生まれ |
|---|---|---|---|---|
| 1999 | 結成発表、CDデビュー | 中2 | 小3 | 未就学 |
| 2007 | 「Love so sweet」発売 | 大4相当 | 高2 | 小6 |
| 2008 | 年間シングル1・2位を独占 | 社会人1年目相当 | 高3 | 中1 |
| 2009 | 10周年、紅白初出場 | 23〜24歳 | 大1相当 | 中2 |
| 2014 | 15周年、白組司会5年目 | 28〜29歳 | 23〜24歳 | 大1相当 |
| 2019 | 休止発表、全シングル配信 | 33〜34歳 | 28〜29歳 | 23〜24歳 |
| 2020 | 配信ライブを最後に休止 | 34〜35歳 | 29〜30歳 | 24〜25歳 |
| 2026 | 活動終了、デビュー27周年 | 40〜41歳 | 35〜36歳 | 30〜31歳 |
※年齢・学年は各年11月3日時点の計算。「相当」は、浪人や留年をしていない場合の学年。
「Love so sweet」は2007年2月に出たシングルで、ドラマ『花より男子2(リターンズ)』の主題歌だった。発売されたとき、1990年度生まれの人は高校1年生で、1985年度生まれの人は、大学に進んでいれば3年生の終わりごろだった。
2009年の大晦日、嵐は初めて紅白歌合戦に出場した。1990年度生まれの人は、大学1年生にあたる年齢だ。帰省した実家で、家族と一緒にそのステージを見た人もいるかもしれない。
2014年、嵐はデビュー15周年を迎え、紅白では5年続けて白組の司会を務めた。1995年度生まれの人は、大学1年生にあたる年齢になっていた。デビューの日に未就学だった子どもが、もう大人の入り口に立っていた。
2019年、嵐は活動休止を発表した。同じ年に出た20周年記念のベストアルバム『5×20 All the BEST!! 1999-2019』は、CDなどのパッケージとダウンロードを合わせて世界で330万枚を売った。IFPIの年間アルバムランキングでも1位になっている。このとき1995年度生まれの人は、もう23〜24歳になっていた。
表を、自分の生まれた年度の列で縦に読んでみてほしい。デビューの日に中学生だった人はいま40歳前後になり、小学校に上がる前だった人も30代に入った。嵐の26年半は、そのまま僕らの26年半でもある。
2008年、”どこを見ても嵐”が始まった
テレビの中の嵐がある時期から急に増えた、と感じている人は多いはずだ。数字で探すと、その境目は2008年にある。
iPhone 3Gが日本で発売された2008年、オリコンの年間シングルランキングで1位と2位に並んだのは、どちらも嵐の曲だった。1位は「truth/風の向こうへ」の61.8万枚、2位は「One Love」の52.4万枚だ。
1999年11月のデビューから10年目で、初めての年間1位だった。この年に高校3年生だった1990年度生まれの人は、受験勉強の合間にテレビをつけるたび、同じ5人に出会っていたかもしれない。
翌2009年は、さらに上を行く。年間シングルランキングのトップ3を、すべて嵐が占めた。年末の発表会見で、報道陣から今年を表す漢字ひと文字を聞かれた相葉雅紀は、グループ名の1文字を即答している。
あのころ、テレビをつければ、どこかのチャンネルに嵐がいた。歌番組でも、ドラマの主題歌でも、バラエティでも、5人の顔や声に出くわした。少なくとも、僕らにはそう見えていた。
買った覚えのない曲を、なぜかサビだけ歌える。この時期に10代や20代を過ごした人には、そんな曲が何曲かあるはずだ。
売れた理由は、ここでは考えない。お茶の間の側から言えるのは、このころから嵐が「好きな人だけが知っているもの」ではなくなった、ということくらいだ。
大晦日の白組司会と、平日の夜の冠番組
嵐は2009年に紅白歌合戦に初めて出場し、2020年まで12年続けて出場した。2010年からの5年間は、5人そろって白組の司会も務めている。
大晦日の夜、こたつで紅白をつけると、そこに嵐がいた。歌うときも、次の歌手を紹介するときも、5人がいた。好きでも嫌いでもなく、ただ「年末の景色」として覚えている人も多いだろう。
12回目の出場となった2020年の紅白は無観客で開かれ、嵐は東京ドームから中継で出演している。最後の大晦日まで、嵐は紅白の画面の中にいた。
平日の夜も、同じだった。2010年には、嵐の名前を冠したバラエティ番組が、夜7時から11時までのプライムタイムに3本並んでいた。『ひみつの嵐ちゃん!』『VS嵐』『嵐にしやがれ』の3本だ。
『VS嵐』は、木曜の夜7時台の放送だった。夕飯の時間にテレビがついていれば家族の誰かが見ていた、という家も多かったはずだ。
チャンネルを選んだ覚えがなくても、ゲームに本気で挑む5人の姿は、なんとなく目に残っている。好きで見ていた人の隣で、なんとなく一緒に見ていた人もいたはずだ。
『ひみつの嵐ちゃん!』は2013年に終わったが、ほかの2本は2020年まで続いた。休止に入るその年まで、嵐は毎週、決まった曜日の夜にテレビの中にいたことになる。
この時代のテレビを振り返るうえで、2023年に旧ジャニーズ事務所が創業者による性加害を認めたこと、そして被害を受けた人たちがいることを書き添えておく。
嵐の記念日は、毎年祝日だった
11月3日は文化の日だから、嵐のデビュー記念日は毎年かならず、学校が休みの祝日にやってくる。
祝日の朝は、ふだんよりテレビの前にいる時間が長い。ニュースで「今日は嵐のデビュー記念日」と聞いて、そうだったのかと思った人もいるかもしれない。
活動休止が近づいた数年は、この日に大きな知らせがいくつも届いた。
- 2019年11月3日 デビュー20周年の当日。嵐はTwitterやInstagramなど5つのSNSを始め、夜7時からは全シングル64曲と新曲を合わせた65曲の配信をスタートした
- 2020年11月3日 事前に収録した国立競技場での無観客ライブ「アラフェス 2020 at 国立競技場」が配信された。この日は、アルバム『This is 嵐』の発売日でもあった
- 2021年11月3日 初のライブフィルム『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』が、ドルビーシネマ限定で先行公開された
SNS、配信、映画館。休止が近づくにつれて、嵐の届け方はテレビの外へ広がっていった。それでも節目の知らせは、この3年、どの年も11月3日に届いている。
20周年の日を境に、嵐のシングルはスマホですべて聴けるようになった。CDを買ったことがなくても、再生ボタンひとつで「A・RA・SHI」から当時の新曲まで流れる。テレビで見ていただけの人にとっては、嵐の曲がぐっと手の届く場所に来た日でもあった。
そして今日、ラストツアーの最終公演を収めたBlu-ray/DVDと、ライブフォトブックが発売される。ファミクラストア オンライン限定の発売だ。活動を終えたあとの初めてのデビュー記念日にも、また届くものがある。
活動が終わったあと、嵐を聴き直したのは誰か
日付だけを並べておく。嵐は2019年1月27日に活動休止を発表し、2020年12月31日の配信ライブ「This is 嵐 LIVE 2020.12.31」を最後に休止に入った。2025年5月6日に活動終了を発表し、2026年5月31日、東京ドームでの最終公演をもってグループ活動を終えた。
休止から終了までは5年5か月で、最後のツアーは全15公演、約49万人を動員した。
気になるのは、その直後の動きだ。最終公演の翌週の集計で、オリコンの週間ストリーミングランキングのトップ10のうち5曲を、嵐の曲が占めた。なかでも「Love so sweet」は3位、「Happiness」は4位で、どちらも曲として過去最高の順位になった。
「Love so sweet」の発売は2007年だから、20年近く前の曲が、いまになって自己最高位を更新したことになる。
ここから先は、僕らの見立てだ。ファンが聴き直したのはもちろんだとしても、それだけでここまで順位が上がるものだろうか。
「Love so sweet」も「Happiness」も、CDを持っていない人でもサビなら歌える。少なくとも僕らの周りでは、そういう曲だった。
聴き直せたのは、2019年の秋に配信が始まっていたからでもある。「Love so sweet」や「Happiness」は10月9日から、ほかのシングルも11月3日から配信されていた。CDを探さなくても、嵐の曲はずっとスマホのなかにあった。活動が終わった週、その再生ボタンを押したのが誰だったのかを、ランキングは名前つきでは教えてくれない。
活動が終わったと聞いて、久しぶりに再生ボタンを押した人がいる。たぶん、ファンだけではなかった。ドラマの主題歌だったあの曲を、高校の教室や実家の居間の記憶ごと、聴き直していたのではないか。
嵐を語ることは、自分の26年半を語ること
音楽ナタリーの報道によると、最終公演のMCで、松本はこんな趣旨のことを話している。1999年から休止期間も含めて26年半。それは生まれた子どもが成人するほどの時間で、その時間をほかの4人とスタッフ、そしてファンと一緒に過ごせて、本当に幸せな時間だった――(要旨)。
1999年11月3日に生まれた子どもは、今日で27歳になる。成人どころか、職場で後輩を持っていてもおかしくない年齢だ。
嵐の26年半を数えると、自分の26年半も一緒に数えることになる。デビューの日に中学生だった人は、いま40歳前後。初めての紅白を大学1年生の年齢で見た人は、30代の半ばにいる。「Love so sweet」が出た年に小学5年生だった人も、みな30代になった。
自分の目盛りのどこに、嵐がいたか。それは人によって違うはずだ。教室だった人も、帰省先のこたつだった人も、残業帰りにつけたテレビだった人もいる。
CDを1枚も買ったことがない。ライブに行ったこともない。それでも、自分の目盛りのどこかには嵐がいて、その目盛りを読めるのは、たぶん自分だけだ。
嵐の終わりがこんなに寂しいのは、嵐だけを惜しんでいるからではないのだと思う。テレビの前で過ごした自分の時間も一緒に惜しんでいるのだから、ファンでなくても寂しがっていい。
今日、家族や同僚に「嵐で何の曲を覚えてる?」と聞いてみてほしい。返ってくる曲名は、たぶんその人の何歳かの記憶とつながっている。
最後に、ひとつだけ。あなたの”嵐の1曲”と、そのとき何歳だったかを、Xで教えてください。
この記事を紹介しているXの投稿へのリプで、あなたの1曲を教えてもらえたらうれしいです。12月31日、活動休止から6年の日には、noteで続きを書く予定です。
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